しんじゅくすえひろてい
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寄席だより四月号
柳若改め春風亭柳雀と春風亭昇也が真打に昇進 5月に落語芸術協会
春風亭昇也
春風亭柳雀
 2人の真打昇進披露は5月上席(かみせき・1日~10日)夜の当席からはじまる。
 新真打のプロフィールは
 〔春風亭柳雀〕08年9月鯉昇に入門、前座名鯉ちゃ、12月9月二ツ目で春風亭柳 若、22年5月真打で柳雀と改める。鹿児島県鹿児島市出身、東海大学文学部卒。
 〔春風亭昇也〕08年7月昇太に入門し昇也、13年1月二ツ目、22年5月真 打。千葉県野田市出身、東京アナウンス学院卒。
今月上席夜の部は落語協会の真打披露
 当席、4月上席夜は落語協会4名の真打昇進披露 が行われる。うち2名の女性真打ではなやかな興行となる。
 めでたく昇進の4名は、
◇三遊亭律歌(➀は師匠は歌る多、➁前座名歌る美、二ツ目名美るく、➂当席主任の日は2日(土)・7日(木)・10日(日))。
◇蝶花楼桃花(➀小朝、➁ぽっぽ、ぴっかり☆、➂1日(金)・8日(金))。
◇柳家風柳(➀鈴々舎馬風、➁やえ馬、八ゑ馬、➂3日(日)・5日(火)・9日(土))。
◇林家はな平(➀正蔵、➁はな平、➂4日(月)・6日(水))。
隅田川馬石が芸術祭大賞を受賞
 隅田川馬石が大賞を受賞した。<奮闘馬石 特別編>の公演で「中村仲蔵」の 通し口演の成果が評価され大賞を受賞した。馬石は93年に五街道雲助に入門、わた し、佐助を経て、07年3月真打で4代目馬石を継いだ。なお、3代目馬石は短い期 間だが昭和の名人志ん生が名のったこともある。この芸術祭で、講釈師の神田京子が 優秀賞、桂竹千代が新人賞を受賞した。
”しょうがない、しょうがないっ”人気漫才のいる・こいる 昭和こいる没 77歳
 昭和こいる(写真左)が昨年12月30日に没。のいる・こいるは66年に 獅子てんや・瀬戸わんやの門下となりコンビ結成。76年にNHK漫才コンクー ルで優秀賞。88年落語協会入会。”しょうがない。しょうがない”ほか多くのボ ケギャグ大いにウケていた。
6年ぶり「東西寄席演芸家名鑑2」
 東西で活躍の寄席芸人を写真入りで掲載。 定価2000円(税込)。当席の売店で発売しております。
  •  日本演芸家連合会会長三笑亭夢太朗に令和3年度文化庁長官表彰がおくられた。
  •  71年(昭和46年)に発足の日本演芸家連合には夢太朗が理事をつとめる落語 芸術協会や落語協会をはじめとする東に10団体、西は上方落語協会他4団体、合わせて 14団体が加入。東西14団体のまとめ役が日本演芸家連合。
  •  <すえひろ中入りトーク>には演芸家連合に関連したトークを記載しました。 どうぞお読みください。
  •  昨年の弁財亭和泉につづいて三遊亭律歌が歌る多門下から真打に昇進、歌る多は前人未踏 の女性真打になることが夢だった。門弟までが夢の真打、それも2年連続!
  •  女性の噺家では菊之丞門下まめ菊が来月下席二ツ目に昇進し古今亭雛菊と改める。 下席初日の5月21日はまめ菊の誕生日。
  •  新真打の柳家風柳。ふうりゅうとはなんとも風流な噺家ネームだ。落語「天災」には -気にいらぬ風もあろうに柳かな-という句が出てくる。先代・5代目小さん門下は 人数が多く命名には苦労しているとは聞いているが、なんと風柳の名付け親は鈴々舎馬風 夫人だった。
  •  4月29日は昭和天皇誕生日。生物を愛し植物には造詣の深かった昭和天皇を偲ぶ意味 で「みどりの日」だったが、05年から「昭和の日」となった。昭和天皇の御前口演の栄 によくした芸人は六代目圓生、そして奇術のアダチ龍光がいる。
  • 「いやぁー驚いたよ」
  • 「何が?」
  • 「日本演芸家連合の新年号の機関紙、写真が17人のっているけど 、16名が昨年亡くなった芸人だもの」
  • 「昨年は訃報がつづいた」
  • 「その機関紙で明るいニュースを見つけたよ」
  • 「それは結構、その明るいニュースとは?」
  • 「入船亭扇橋の名蹟がこの秋に復活するんだって」
  • 「昨年の古今亭円菊につづき、うれしいネ」
  • 「新しい扇橋は10代目になるけど9代目は俳句は光石の俳号で、このプログラム に長年ご協力いただいた」
  • 「東京やなぎ句会の宗匠だ」
  • 「その句会の会員を整理すると、小沢昭一、大西信行、永井啓夫、桂米朝の作家で 寄席研究家の正岡容(いるる)門下をはじめ、永六輔、江国滋、矢野誠一、三田純市、 柳家小三治、加藤武、神吉拓郎と宗匠の扇橋」
  • 「扇橋を通して、加藤武に、正岡容作<円朝花火>の朗読をお願いしたんだよ」
  • 「小沢昭一でなく加藤武に」
  • 「その際打合せ中の雑談で、最近の句会で、-稲光り肌の白さと毛の黒さ、-という 句があったって」
  • 「印象にのこる句だな」
  • 「15年7月扇橋の告別式に列席の加藤さんはその翌月に86才でなくなっている」